桶川市は江戸時代(1800年頃)紅花の生産地として栄え、山形県最上に次ぐ生産地として全国にその名をはせたそうです。桶川産の紅花は江戸から京都に出荷され、主に染料として利用されました。しかし明治以降、合成染料の台頭により、紅花の需要は減少、それに伴い生産業も衰退していきました。
1993年、当時の桶川市長が「べに花の郷づくり」を掲げ、紅花をシンボルにした町づくりに着手。再び紅花にスポットが当たりました。様々なべに花に絡めた町おこしが行われた中、新たな名産品をと開発されたのがべにばな饅頭です。
べにばな饅頭を製造している「株式会社べにっこ」さんにおじゃまし、製造過程を見学させてもらいながら、永井さん、高橋さんにおいしさの秘訣や職場の面白さについてお話を伺いました。
―べにばな饅頭はいつから作られているんですか
20年程前、べに花ふるさと館のオープンに合わせて桶川名物をつくろうという話になりました。桶川は昔から麦、小麦、べに花の生産地で、7月1日(初山)には、五穀豊穣を願い、収穫した新しい小麦でお饅頭をつくる風習がありました。そこからヒントを得て、べにばな饅頭をつくろうと決めました。最初は商工会女性部で製造していたのですが、独立し現在は「株式会社べにっこ」として製造を続けています。
―何人くらいで製造しているのでしょう
商工会女性部員25名で始めましたが、体調不良などで現在は10名ほどです。人数は少なくなりましたが、毎日3人~4人でシフトを組み、楽しく働いています。1日につくるお饅頭は100個前後です。桶川市の三大イベント「べに花祭」、「祇園祭」、「市民まつり」にも参加するのですが、その際はフル稼働で、1日1300個ほどつくります。昔は口も八丁、手も八丁でしたが、今は大分動けなくなりました。
そう笑いながら話す永井さん。その手は休むことなく餡をつつみ、お饅頭のかたちをととのえます。お話を聞いていると、蒸し器のタイマーが鳴り、あつあつのお饅頭が出来上がりました。
出来立てのべにばな饅頭をいただきます。
べに花のエキスが入った皮は、やさしい黄色に色づいています。ふかふかの皮はほんのり甘く、なかの餡は甘すぎず、上品な味わいです。
ー甘すぎず、食べやすいお味ですね。
3種類の粉をブレンドし、そこにべに花液を加えこねて、優しい甘みでもちもちの皮を作っています。配合の塩梅はとても難しいんです。どれか一つでも入れすぎると割れてしまったり、もちもち感がなくなってしまったり。餡は近くの専門店にお願いしています。中の餡は粒あんとこしあんの2種類。べに花の花びらが上についたものが、粒あんの印です。大きさもこだわったポイントの一つ。あまり大きすぎず3口くらいで食べられる上品な大きさを、みんなで試行錯誤した結果です。このお饅頭は本当にみんなの知恵の結晶なんですよ。
―べにばな饅頭はどこで購入できるのでしょうか
コロナ前までは近くのスーパーにも置いてもらっていたのですが、今は市内のJA2店舗とべにばなふるさと館の3か所です。ここ製造所でも販売しています。普段は単品での販売ですが、8個、10個、15個入りのサービス箱に入れ包装紙で包んでの販売もあります。この包装紙も障子紙を自分たちで紅花で染めたもので、すべて手作業なんです。
―地域の人に愛されるお饅頭なんですね
昨年製造所を引っ越したのですが、以前は中山道沿いにありました。なので朝駅に行く人が寄って、お饅頭を買って電車に乗って、そういう人が多かったですね。都内にお土産として買っていくと、また買ってきてって頼まれたなんておっしゃる方も多かったです。裏道に移転した今でも、常連さんや、土日朝早く起きて買いに来てくれる子供、お母さんと小学校のお兄ちゃんを送りに来た帰りに、お饅頭って言って、必ず一つ買いに来る小さいお客さんもいますね。パンより腹持ちがいいって言われますよ。添加物も保存料も入っていませんから安心して食べられますしね。
―最後にべにっこさんの魅力を教えてください
市長さんが色々な場所で、平均年齢82歳の女性だけの職場があると紹介してくださるのですけど、みなさんびっくりされる方が多いですね。ここへ来ると、みんな年齢を忘れ張り切って仕事を始めます。お饅頭づくり中は、次から次へと作業に追われ忙しいですが、配達も明日の準備も終わると、ほっと笑顔も戻り楽しいお茶の時間になります。こうして20数年、仲間と「桶川名物」をつくることに誇りをもって働ける、楽し職場です。
素朴なおいしさで愛されるべにばな饅頭。その人気の秘密は、手づくりの味わいだけでなく、働いている女性たちのチャーミングさにあるのかもしれません。
べにばな饅頭はJA、べにばな館で販売しているほか、朝6時~9時30分までのあいだなら製造場所で購入することも可能です。桶川に来た際にはぜひご賞味ください。
べにばな饅頭は登録商標を取得しております。